人と人、地域と地域をつなげる 新しい「横浜」として

5.歩いて歩いて歩きぬいた一年目

■右も左もわからずに

—— 準備を重ねていって、実際に動き出そうとしたのが2011年の…

岩谷 4月、5月頃です。

—— 震災の直後ですね。世間では地震後の原発事後のこともあって、一気に自粛ムードが強まっていたと思います。そのなかで飲食店を中心に据えたイベントをやるということに逡巡もあったなか、こういうときだからこそ人とのつながりをもって、ちゃんとコミュニティをつくっていかなければならないと判断されたのだと思うのですが、なかなか大変な時期だったのでは?

岩谷 当時はわかりませんでしたが、いま思えばたしかにそうだったかもしれません。店舗の方も、どこの誰かもわからない会社の人間がやってきて、これ本当に大丈夫なの? というのが正直な第一印象だったと思います。セールスに間違えられてお話をすることもできない時もありました。逆に初対面にもかかわらずお話を聞いてくださる方もいらっしゃったり。反応はまちまちでした。ただ言えるのは、すごく大変だったということ(笑)。

—— (笑)

岩谷 企業規模のイベントプロデュースやブランディングの経験はありましが、ここまで大規模の地域活性化事業は、なにせはじめての経験です。多分、地域で顔の利く人に、「ここを押さえておいてください」と最初から相談していれば話が早かったのだと思います。でも、そうせずに全部下から行ったんです。店舗さんを一件一件歩いて回って、「参加してください」と説明をしにいって、それが終わったら別の店舗にいって、新たな動きがあったら報告しにいって……全部足で説明しました。

■真の地域活性化を目指す

—— 下からやろうと思ったのは、地域興しだったら、当該地域の人たちが自分たちからやらなければならないと思ったからなのでしょうか。つまり、トップダウンでやるとどうしても主体性が欠けて根づきにくいと思うんです。逆にボトムアップで、参加者の主体性を引き出すかたちでやれれば、運動として息の長いものになっていく。そうすると街の人たちも、自分たちでやったんだという意識を持てると思うんです。

岩谷 そう思います。やっぱりこの街のことはこの街の人たちで盛り上げていくのが理想です。ただ、一年目ということもあって、いま思うのはぼくが引っ張り過ぎたところがあるんじゃないか、ということです。経験不足、知識不足でご迷惑をおかけしたこともあります。お恥ずかしい話ですが、しっかりとした自治会があることも知らなかった。そういうところに声をかけて一緒にやっていけていれば、もっといいかたちになったかもしれません。今年はその反省も踏まえて委員会を設置して、セルディビジョンから運営権を移行しました。

—— それはどうして?

岩谷 まず営利目的のプロジェクトだと思われたくなかったから。一企業がメインに動いているプロジェクトだと、どうしても営利目的と思われてしまいます。そうではなく、平沼・高島エリアの活性化の達成こそが目標であることしっかり打ち出していかないといけません。

もうひとつは、地域の方と一体になってやっていくには、一企業だけでやるよりも、いろいろな人が参加した方が可能性が広がります。

そこで一般社団法人AGORAのなかに委員会を設置しました。委員会にはさきほどお名前の出た入交さんと、「BOSWAIN」の岩田敏男さんに飲食店を代表して参加していただき、その他に企業の代表として郵便局の藤武實さん、それからクリエイターの代表としてカメラマンの齋藤久夫さん、そして私が加わっています。またセルディビジョンからはディレクターの木部輝昌が参加しています。