3.コンセプトは「新たなつながり」の創出
■考えたのは「なにができるか」
—— そんな歴史もあるこの街で、CDCというプラットフォームもつくって、いよいよ[urayoko net]をはじめたわけですが、このプロジェクトを考えたきっかけについてお話いただけますか。
岩谷 「Y150」を経て地域活性化への漠然とした思いを抱いたことはお話しました。その後、事務所を移転しCDCをつくったときに、やっぱりこの街になにか貢献したいという思いをあらたにしました。ただ、そうはいっても、じゃあ一体なにをやるのか、という話です。
まず考えたのは「なにをやるか」ではなく、「なにができるのか」。つまり、この街がもっているリソースはなにか、どういったことが実現可能なのかを徹底的に考えていけば、平沼・高島というエリアならではのプロジェクトに自然とたどり着けるんじゃないかと。
—— 岩谷さんは小さい頃から東口に親しんでいたということでしたが、大学は多摩美ですよね。ということは東京の橋本です。一人暮らしは?
岩谷 はい、していました。
—— となると、会社を興されてから、ふたたびこの地域に関わるようになったんですね。
岩谷 そうですね。会社を興した場所は東口の平沼だったので、そこからちゃんと街を見れるようになったのかな、とは思います。
—— 幼少時の印象とそれほど変わっていなかったのでしょうか。
岩谷 ざっくりとした印象でいうとそうです。なんとなく人がいなくて寂しい感じ。でも、関わってくるといろいろ見えくるものがあります。さきほど言ったように、この街にどんなリソースがあるのか、その視点であらためてこのエリアを見てみると、魅力的な飲食店や店舗がいくつもあることに気がつきました。どのお店も、きちんとしたこだわりをもったオーナーさんたちがやっている。まずそれを発信していくのが重要だと思ったんですよね。
それと、大企業から中小企業まで、横浜にゆかりのある企業がこの界隈には多い。なかでも大企業が集中しています。たとえば日産自動車やそごうがあり、横浜三井ビルディング(仮称)も建設中です。平沼・高島はそういうエリアでもある。大企業には数多くのスタッフの方々が勤めていらっしゃいます。その方々に、この街に立ち寄って楽しんでいただければ、ここの場所ももっともっと活気にあふれ潤ってくるんじゃないかなと。
■痛感したのは人とのつながり
岩谷 それともうひとつ、みなとみらい地区の開発もあって、いまの街には昔から住んでいる住民の方と、あらたに入ってこられた方が入り交じっています。
そういうリソースがあることがわかってきたときに、それをつなげて、まとめていくプロジェクトにするのがいいのかもしれない、というのが頭のなかにあったことです。でも、プロジェクトにするのだったら、まずはコンセプトをしっかりと立てないといけない。
一体この街の活性化をどこからスタートすればいいのか——私は会社を興してから昨年まで、6年ほど平沼に住んでいました。じつはその間、隣に誰が住んでいるのかもわからないっていう状況で、歩いてても「こんにちは」と挨拶できる人が少ないなと思っていたんです。そして去年の震災。人と人のつながりがすごく重要だと、本当に痛感しました。
お互いがそれほど深い仲でなくとも、挨拶のし合える関係を築いている。その関係は地域の盛り上げだけじゃなく防災にも役立ちます。[urayoko net]の第一のコンセプトとして、人と人とがつながれるイベントにしたいと考えました。