urayoko starter

urayoko netイベントをはじめて開催したのは2011年。
その翌年の第2回開催時に、urayoko net発起人の中心となるセルディビジョン岩谷真史氏が語った、
urayoko netを始めるきっかけとなった思いをインタビュー形式で紹介します。

日総ブレイン株式会社

人と人、地域と地域をつなげる
新しい「横浜」として

横浜駅東口にひろがる平沼・高島エリア。
2011年からこのエリアの活性化を目的とした [urayoko net] プロジェクトがスタートした。その発起人でありコアメンバーのひとりが岩谷真史。
弱冠31歳にして、デザイン企業の社長として活躍し、いま地域コミュニティのデザインに熱意を注ぐ。
その情熱とこれからを訊いた          

[ 聞き手・構成/長田年伸 ]

1. 幸福な勘違いからはじまった会社経営

■西と東の横浜

いま日本各地で地域コミュニティの活性化がさかんに起きています。一過性のものではなく、きちんとその地域に根づいた活動にするためには、その土地との縁や強い動機づけが必要になると思います。まず、岩谷さんとこの平沼・高島エリアの関わりについておうかがいしたいのですが。

岩谷私は保土ケ谷の峰岡町の生れです。横浜駅から相鉄線で少し行った「星川」が最寄り駅ですね。横浜生れ、横浜育ちです。小学校は山手にある横浜国立大学附属横浜小学校に通っていたのですが、父親の経営する岩谷学園が平沼にあることもあり、学校が終わると実家ではなくこの街に帰ってきて、塾に行く用意をして出かけるというように、小さな頃からよく平沼・高島を中心とした地域で遊んでいました。

ただ、子供ながらに、そごうから出て東口へ抜けていく通りは、どこか寂しい感じがあるなと思っていて。それは土地柄ということではなく、単純に人の数。横浜駅に来られたことのある方ならお分かりになると思いますが、横浜駅の西口はすごく栄えています。岡田屋さんや高島屋さん、数年前には三越の跡地にヨドバシカメラもオープンしました。相鉄ジョイナスさんをはじめとした駅ビルの機能、歴史のあるダイヤモンド地下街も充実し、シェラトンホテルもあります。

幼い頃に主に使っていた相鉄線の改札口は西口です。相鉄線の近く、西口はこんなにも栄えているのに、東口は閑散としている。どうしてだろう、こっちの通りもイルミネーションでパーッと明るくしたり、もっと人でたくさん賑わうようにできたらいいなと、子供のくせに思ってたんですよね。でも、それは本当にそうなればいいな、という子供のなんとなくの願望で。だから[urayoko net]をやっていることの根っこには、そういう私の原風景があると思います。

子供の夢ではなく、大人の人間として地域活性化に関わることになったきっかけは?

岩谷高校卒業後は多摩美術大学に入学しました。生産デザイン学科テキスタイル専攻に進学したのですが、学生時代にアルバイトをしていた飲食店で、「美大生だから」という理由でメニューをつくらせてもらったんです。それがとても好評だったので、デザインの道に進むことにしました。いま思うと、店長もお世辞で褒めてくれたのかもしれないですけど(笑)。でも、その勘違いのおかげでこうしてデザイン会社を経営することになったので、幸福な勘違いだったのかもしれません。

■ふたつのイベントプロデュースと事務所の移転

岩谷卒業を迎える2004年の1月に、個人事業主として正式にセルディビジョンを創業しました。そして創業から2年経った頃、イベントの企画に携わることになったんです。「Soalon Festa」という布の展示会。アパレルデザイナーと、福井の布屋・畑岡株式会社がコラボレーションするイベントのプロデュースを、2006〜2008年、2010年とやらせていただきました。会場は東京の青山にある「ふくい南青山291」という場所で、規模としては200平米ほどです。とにかくはじめてのイベントプロデュースでしたから、難しさも含め、たくさん勉強をさせていただきました。

そういう経験をした後で、カメラマンの齋藤久夫さんと出会ったんです。齋藤さんはずっと横浜の野毛地区の活性化に携わっている方で、シェアオフィスの運営もされています。齋藤さんとお付き合いさせていただくうちに、地域活性化というものに本格的に惹かれていきました。

その後、ヒルトンホテルの地下にあるアーケード街「ヒルトピア」を齋藤さんと一緒にプロデュースするご縁に恵まれました。ヒルトピアでは会場のイベントを企画したり、印刷物をデザインしたり、とにかくいろいろなことに携わらせていただいています。そうして経験を重ねて、少しずつノウハウが出来てきました。それがいまから2年くらい前ですね。

そうして力を蓄えていっているところに、会社を移転する話がもちあがってきました。父の経営する岩谷学園が高島町のビルにフロアをもっているのですが、そこを借りていた学習塾が他へ移ることなった。

セルディビジョンは、創業当時は平沼に事務所を構えていました。その後は横浜駅東口の北幸というところに移り、小さなマンションの一室を利用していたんです。父も、ご縁があって学校を開かせてもらっているこの街のことを考えていて、せっかくだったら地域の貢献につながることができる人に入ってもらいたいと考えていたようで、私に話をもちかけてきた。やってみるか、と。いきなり大きなオフィスを構いえてやっていけるのか、正直不安も大きかったです。けど、いろいろ悩み抜いた末、移転を決めました。どうしてかというと、シェアオフィスをやりたかったから。

2. オモテの横浜から情報を発信するプラットフォーム

■クリエイティブデザインセンター

岩谷なぜシェアオフィスなのか。きっかけは2009年に開催された横浜開港150周年イベント「Y150」です。

「Y150」は横浜市をあげてのイベントでした。みなとみらい21や新港地区周辺をベイサイドエリア、よこはま動物園ズーラシア周辺をヒルサイドエリア、横浜駅周辺から山下・山手地区周辺の市街地をマザーポートエリアの3つに分けて開催、最終的に700万人を超える総入場者数を記録しました。私も実際にイベント会場に足を運んだのですが、参加しているうちに、もっとこうできるな、ぼくだったらここは別なやり方をするな、と、いろいろと刺激を受けたんです。もちろん、市の方々が大変な努力を重ねられていたことはわかっていますが、純粋にイベントだけを取り出してみたとき、「自分なら」という思いが湧いてきた。

ただ、やりたいと思っても、思っているだけではかないませんし、名乗りを上げたとしても、実績や信頼がなければ任せてもらえません。もし「Y160」が開催されることになったとして、そのときに自分に声がかかるようにならなければいけない。どうすればそうなれるかを考えたときに、情報の発信ができる場をもつことが大事だと考えました。

声がかかるのを待つのではなく、自分たちから情報を発信して提案、行動していく。その過程でセルディビジョンも成長していけます。そのためには高い意識をもった、プロフェッショナルな仕事をしているクリエイターに集まってもらって、お互いに研鑽を重ねて、ときに協働して動いていけるプラットフォームを持てたら——そうした思いで、クリエイティブデザインセンター(CDC)というシェアオフィスをはじめたんです。

■横浜のオモテとしての「裏横浜」

情報の発信地をもつことで外に訴えかけていくというのはとても素晴らしい考えですね。ところで、ひとつ気になっていたことがあります。「裏横浜」という名称です。これは岩谷さんがつけたのでしょうか?

岩谷いえ、私ではありません。[urayoko net]にご参加いただいている「ビストロ・フレッシュ」と「リストランテ・リアル」のオーナーの入交功(いりまじり・いさお)さんという方がいらっしゃいます。入交さんは1999年に「ビストロ・フレッシュ」をオープンされたんですが、その入交さんが「自分一人じゃなく、いろんなおもしろい店が集まって、いい街をつくっていきたい」という思いで「裏横浜」という呼び名を使いはじめたのが最初です。その後2002年に入交さんが『横浜ウォーカー』の取材を受けて同誌に「裏横浜」という言葉が掲載されたことで広まりました。

ちょうど90年代に東京原宿に「裏原宿」という名称が生まれて定着していった直後ですね。

岩谷入交さんが「裏横浜」に込めた思いも引き継いでいければと思っています。ただ、歴史的には「裏横」はじつは表玄関なんですよね。

岩谷平沼商店街に通っている道路は、かつて横浜道といったんです。江戸時代の終わり頃の1858年に日米修好通商条約が結ばれて、翌1859年に神奈川を開港することなったんですね。いまの神奈川区神奈川本町付近です。ここは東海道の宿場街として栄えていて、神奈川宿と呼ばれていました。そんな繁華街に港をつくって、200年以上続いてきた鎖国状態をやめて、いきなり海外の人を招き入れたらどうなるか予測がつかない。そう思った徳川幕府は、神奈川宿の対岸にあった横浜村を開港することにした。横浜村はいまの関内付近ですね。だから、横浜はこのとき神奈川になったんです。

神奈川になったとはいっても、当時、神奈川と横浜の間には道らしい道がなくて不便だったといいます。そこでこの区間に道をつくることにした。それが平沼を通って、戸部、野毛を抜けて、今の馬車道にいたる横浜道でした。

はじめて知りました。

岩谷 横浜駅も、もともとはいまの桜木町駅にありました。そのあと市営地下鉄の高島町のあたりに移って、さらにいまの位置に移動しました。だから、いまの横浜駅は3代目ということになります。

「裏横浜」は裏といいつつ表でもあるんです。そういう意味でも、この地域は本当に歴史のある街ですし、いまの時代に新しい横浜の姿を見せてくれる力があると思っています。

3. コンセプトは「新たなつながり」の創出

■考えたのは「なにができるか」

そんな歴史もあるこの街で、CDCというプラットフォームもつくって、いよいよ[urayoko net]をはじめたわけですが、このプロジェクトを考えたきっかけについてお話いただけますか。

岩谷「Y150」を経て地域活性化への漠然とした思いを抱いたことはお話しました。その後、事務所を移転しCDCをつくったときに、やっぱりこの街になにか貢献したいという思いをあらたにしました。ただ、そうはいっても、じゃあ一体なにをやるのか、という話です。

まず考えたのは「なにをやるか」ではなく、「なにができるのか」。つまり、この街がもっているリソースはなにか、どういったことが実現可能なのかを徹底的に考えていけば、平沼・高島というエリアならではのプロジェクトに自然とたどり着けるんじゃないかと。

岩谷さんは小さい頃から東口に親しんでいたということでしたが、大学は多摩美ですよね。ということは東京の橋本です。一人暮らしは?

岩谷はい、していました。

となると、会社を興されてから、ふたたびこの地域に関わるようになったんですね。

岩谷そうですね。会社を興した場所は東口の平沼だったので、そこからちゃんと街を見れるようになったのかな、とは思います。

幼少時の印象とそれほど変わっていなかったのでしょうか。

岩谷ざっくりとした印象でいうとそうです。なんとなく人がいなくて寂しい感じ。でも、関わってくるといろいろ見えくるものがあります。さきほど言ったように、この街にどんなリソースがあるのか、その視点であらためてこのエリアを見てみると、魅力的な飲食店や店舗がいくつもあることに気がつきました。どのお店も、きちんとしたこだわりをもったオーナーさんたちがやっている。まずそれを発信していくのが重要だと思ったんですよね。

それと、大企業から中小企業まで、横浜にゆかりのある企業がこの界隈には多い。なかでも大企業が集中しています。たとえば日産自動車やそごうがあり、横浜三井ビルディング(仮称)も建設中です。平沼・高島はそういうエリアでもある。大企業には数多くのスタッフの方々が勤めていらっしゃいます。その方々に、この街に立ち寄って楽しんでいただければ、ここの場所ももっともっと活気にあふれ潤ってくるんじゃないかなと。

■痛感したのは人とのつながり

岩谷それともうひとつ、みなとみらい地区の開発もあって、いまの街には昔から住んでいる住民の方と、あらたに入ってこられた方が入り交じっています。

そういうリソースがあることがわかってきたときに、それをつなげて、まとめていくプロジェクトにするのがいいのかもしれない、というのが頭のなかにあったことです。でも、プロジェクトにするのだったら、まずはコンセプトをしっかりと立てないといけない。

一体この街の活性化をどこからスタートすればいいのか——私は会社を興してから昨年まで、6年ほど平沼に住んでいました。じつはその間、隣に誰が住んでいるのかもわからないっていう状況で、歩いてても「こんにちは」と挨拶できる人が少ないなと思っていたんです。そして去年の震災。人と人のつながりがすごく重要だと、本当に痛感しました。

お互いがそれほど深い仲でなくとも、挨拶のし合える関係を築いている。その関係は地域の盛り上げだけじゃなく防災にも役立ちます。[urayoko net]の第一のコンセプトとして、人と人とがつながれるイベントにしたいと考えました。

4. 人と人、地域と地域をつなぎ、文化を育む

■[urayoko net]3つの柱

岩谷それともうひとつ、この街の文化をつくっていきたいなと思ったんです。なにもないところに人は集まりません。仮になにかがあったとしても、それがただ「そこにある」だけでは求心力にならない。そこに文化がなければ、人は集まらないと思ったんです。

平沼・高島エリアには歴史的な蓄積がありますし、とても豊かなリソースがある。人と人、地域と地域をつないでいって、この街にこれまで以上に活気が出てくるのと同時に、魅力ある店舗がまた自分たち自身を高め合って価値を生み出していく。それがきっとこのエリアの文化になっていくんじゃないかと。そうすれば、「裏横浜」という言葉はいまよりもずっと輝いた言葉になると思うんです。

魅力あふれる飲食店というリソース、企業も含めた地域住民、そして開国以来培われてきた歴史、この3つを融合するプロジェクトとして考えたのが、[urayoko net]なんです。

お話をうかがっていて、あえて東口を選んでお店を出している方も多いんじゃないのかなと。自分たちのこだわりのお料理やお酒を、自分たちのできる最高のパフォーマンスで提供しようとしたら、あまり多くの人には対応できないと思います。

岩谷そういう方もいらっしゃると思います。横浜駅はあきらかに西と東とで様子が異なります。西口はチェーン店も多く、客層も若い世代が中心になります。そうすると、どうしても価格競争が強くなる。

東口はどちらかといえばオトナの街だと思います。ゆっくりお酒を楽しんだり、じっくり話をすることを好むお客様が多い。たとえば、特別な日に夫婦水入らず行くお店があったり、料理が評判の隠れ家的な居酒屋があったり。

まさに人と人が出会いつながれるような、特別な場所やお店が多い街なんですね。

■裏横浜をめぐるバスネット

事務所を移転して[urayoko net]の準備をはじめられたわけですが、実際にやってみていかがでしたか?

岩谷右も左もわからなかったです。それまでに経験したことのない領域でした。昔から馴染みのある街でしたけど、今度は新参者としてこの土地に入ってきたわけですから。だからいろんな人に会いに行ってお話をうかがいました。カメラマンの齋藤さんにも野毛の活性化イベントのお話を聞き、CDCに集まったクリエイターの人たちとはミーティングをしてどういうイベントにするかを話し合いました。そのときに出てきたのが[urayoko net]をどういう見え方にするかという課題で、そこからいまメイン・ヴィジュアルとして使っているバスのモチーフが生まれたんです。

なぜバスとバス停なのか。お話してきたように、人と人、地域と地域をつなげていくことがコンセプトのひとつです。バスはある地域から別の地域へ人を運んでいって、その先々で人が行き交ってつながっていく。そのあり方が[urayoko net]と似ていると思ったんです。

バスでいうと、バス停があってバスがありますよね。[urayoko net]では、バス停が店舗にあたる。そして店舗と店舗をつなぐのは人です。つまりバスが人ということになります。だから各店舗にバス停を置き、そこを人=バスがめぐる。そういう比喩表現として見せたかったというのがあって、バスのモチーフを使うことにしました。

[urayoko net]のトレードマークですよね。私はずっと都内に住んでいて、2年ほど前から横浜に移住したのですが、横浜は「バスの街」というイメージが強い。都内は基本的に電車移動で、とくに中心部に住んでいるとほとんどバスを使いません。ところが横浜に住んでみると、バスがかなり重要になります。路線も非常に多い。そういう意味でも、すごく横浜っぽいなと感じました。

岩谷それは図らずもなんですが(笑)。でも、そういっていただけるとうれしいですね。

5. 歩いて歩いて歩きぬいた一年目

■右も左もわからずに

準備を重ねていって、実際に動き出そうとしたのが2011年の…

岩谷4月、5月頃です。

震災の直後ですね。世間では地震後の原発事後のこともあって、一気に自粛ムードが強まっていたと思います。そのなかで飲食店を中心に据えたイベントをやるということに逡巡もあったなか、こういうときだからこそ人とのつながりをもって、ちゃんとコミュニティをつくっていかなければならないと判断されたのだと思うのですが、なかなか大変な時期だったのでは?

岩谷当時はわかりませんでしたが、いま思えばたしかにそうだったかもしれません。店舗の方も、どこの誰かもわからない会社の人間がやってきて、これ本当に大丈夫なの? というのが正直な第一印象だったと思います。セールスに間違えられてお話をすることもできない時もありました。逆に初対面にもかかわらずお話を聞いてくださる方もいらっしゃったり。反応はまちまちでした。ただ言えるのは、すごく大変だったということ(笑)。

(笑)

岩谷企業規模のイベントプロデュースやブランディングの経験はありましが、ここまで大規模の地域活性化事業は、なにせはじめての経験です。多分、地域で顔の利く人に、「ここを押さえておいてください」と最初から相談していれば話が早かったのだと思います。でも、そうせずに全部下から行ったんです。店舗さんを一件一件歩いて回って、「参加してください」と説明をしにいって、それが終わったら別の店舗にいって、新たな動きがあったら報告しにいって……全部足で説明しました。

■真の地域活性化を目指す

下からやろうと思ったのは、地域興しだったら、当該地域の人たちが自分たちからやらなければならないと思ったからなのでしょうか。つまり、トップダウンでやるとどうしても主体性が欠けて根づきにくいと思うんです。逆にボトムアップで、参加者の主体性を引き出すかたちでやれれば、運動として息の長いものになっていく。そうすると街の人たちも、自分たちでやったんだという意識を持てると思うんです。

岩谷そう思います。やっぱりこの街のことはこの街の人たちで盛り上げていくのが理想です。ただ、一年目ということもあって、いま思うのはぼくが引っ張り過ぎたところがあるんじゃないか、ということです。経験不足、知識不足でご迷惑をおかけしたこともあります。お恥ずかしい話ですが、しっかりとした自治会があることも知らなかった。そういうところに声をかけて一緒にやっていけていれば、もっといいかたちになったかもしれません。今年はその反省も踏まえて委員会を設置して、セルディビジョンから運営権を移行しました。

それはどうして?

岩谷まず営利目的のプロジェクトだと思われたくなかったから。一企業がメインに動いているプロジェクトだと、どうしても営利目的と思われてしまいます。そうではなく、平沼・高島エリアの活性化の達成こそが目標であることしっかり打ち出していかないといけません。

もうひとつは、地域の方と一体になってやっていくには、一企業だけでやるよりも、いろいろな人が参加した方が可能性が広がります。

そこで一般社団法人AGORAのなかに委員会を設置しました。委員会にはさきほどお名前の出た入交さんと、「BOSWAIN」の岩田敏男さんに飲食店を代表して参加していただき、その他に企業の代表として郵便局の藤武實さん、それからクリエイターの代表としてカメラマンの齋藤久夫さん、そして私が加わっています。またセルディビジョンからはディレクターの木部輝昌が参加しています。

6. さらなる輝きを生む2年目に

■反響と手応え

一年目の参加は16店舗。どんな反響がありましたか。

岩谷イベント直後、16店舗中15店舗から次回も参加したいという連絡がありました。そういう言葉を聞けて、本当にうれしかった。いいかたちになったんだと。

もちろん店舗さんからは高評価だけじゃなく、いろいろなご意見をいただきました。変な話ですけど、それがかえってよかったというか、やっぱり一年目で参加者全員納得、ということはないと思うんですね。

評価していただけた部分は謙虚に受け止め、ご意見をいただいたところはきちんと検証して今年につなげる。なにより、そうしたご意見を聞けたということ、そういう関係をまずは築けたことがよかった。その意味で、成功したといえると思います。多分、ご参加いただけた店舗さんも、そうした関係でスタートすることができたから、次回もやるよ、といってくださったんだと思います。

数字として見ても、参加店舗を回るスタンプラリーチケットは2000枚弱が流通しました。運営側が把握しているだけでも約3400のスタンプがおされています。平均すると、開催期間中に一店舗あたり200人近くの来客があったことになります。チケットを買わずに[urayoko net]に足を運んだ方もいらっしゃるでしょうから、実際にはもう少し多くの人が、この地域を訪れてくれたことになります。驚いたことに30名もの方が全店舗コンプリートしてるんです。開催前は2、3人いたらいいかなくらいに思っていたので、これには驚くと同時に手応えも感じました。メディアにも取り上げていただけたので、今年もそういう連携をとって、urayoko netをもっと知っていってもらいたいと思っています。

それと、これは思ってもみなかったのですが、[urayoko net]終了後、横浜市からも高評価をいただけました。

行政のほうから、ということでしょうか?

岩谷はい。[urayoko net]は横浜市から助成を受けているんですけど、じつは最初は「大丈夫?」という印象だったと聞きました。名前も知らないような一企業が地域活性化のイベントをやるといっているんですから、当然の反応ですよね。それをちゃんとかたちにしてここまで出来た、そこを見てもらえたのは純粋にうれしいです。

あとは来てくださったお客様がtwitterなどで発信してくださって。ぼくが見た限りだと、みなさん本当に楽しんでいて、ネガティブなつぶやきは見つけられなかったんです。

■もう一度、手放しに信じてみる

そしていよいよ2年目ですね。

岩谷じつは昨年各店舗からいただいたご意見を踏まえて、今年は参加条件を少し変更したんです。ただ、ここは本当に難しいところで、そのことによって昨年ご参加くださったけど、今年は見送りにされた店舗さんもいらっしゃる。もちろん、去年参加してくださった店舗さんにはできるだけ今年も[urayoko net]を一緒に盛り上げていって欲しいですし、すべての店舗が参加できるように条件を変更することもできたかもしれませんが、それはやめました。

どうしてですか?

さきほどお話したコンセプトに戻りますが、店舗がバス停だとすると、そこをつないでいくバスは人です。[urayoko net]はもちろんこの地域の活性化を目指していますが、一方でここに訪れてくれる人がいないと成立しません。店舗側に立って、店舗のことを第一に考えた条件を整えることで、この場所を訪れてくれるお客様に何か不都合が起きたら、[urayoko net]の魅力がなくなると思いました。

規則や制限を設けるのは簡単だと思うんです。それによって人のことを縛るのも。たとえば、参加店舗ではいくら以上のオーダーを必ずしてもらう、とか。でもそうじゃなくて、この裏横を訪れてくれた人たちが、自分たちでマナーや礼儀をもって、お店と関係を築いて欲しい。それが出来たのが去年だった。だから、青臭いかも知れませんが、ぼくはもう一回、手放しにお客様を信じてみようと思った。

一年目はプロジェクトをなんとか走らせて、各方面から一定の評価をいただけました。今年は昨年以上にイベントの内容を充実させて、この街がもっともっと輝くような力になれればと思っています。

裏横浜地域活性化プロジェクト urayoko net

〈主催〉裏横浜地域活性化プロジェクト urayoko net委員会
〈後援〉横浜市文化観光局/公益財団法人 横浜観光コンベンション・ビューロー
〈協力〉ヨコハマトリエンナーレ2017応援プログラム
〈協賛〉日本郵便株式会社 南関東支社・横浜中央郵便局/株式会社河内屋/株式会社大勝/ベイヒルズ税理士法人/株式会社グリップ/アサヒビール株式会社/キリンビールマーケティング株式会社 横浜支社/サッポロビール株式会社/サントリー酒類株式会社/学校法人岩谷学園/株式会社みずほ銀行/株式会社ユハク/シティテラス横濱サウス ザ・ガーデン/株式会社セルディビジョン(順不同)
〈参加店舗〉ビストロ フレッシュ/The World Kitchen/SOBAR屋 BOSWAIN/肉バル BOSWAIN/魚介とワイン 裏横2階/鮨 こはだ/魚とワイン hanatare/いざか屋 若蔵/魚と酒 はなたれ横浜東口店/Dining & CafeBar Living/リストランテ リアル/HANAICHI 〜花いち〜/魚とワイン はなたれ The Fish & Oysters/焼肉・サムギョプサル ダンカン/出世居酒屋 いっすんぼうし/プラチナバード横浜/お惣菜カフェ Orange/ピグローネ/タンメン・カントナ/39°F/平沼 田中屋/カフェ・ド・ノヴァ/casual wine dining Laugh/沖縄・和Dining 鏡屋/The World Kitchen & Sports/WASHOU/和イタリアン居酒屋 鏡屋PLUS/アジアン和風居酒屋 バンブー/ICHIMI BAR/炭火焼・和バル 鏡屋LIFE
〈参加クリエイター〉株式会社セルディビジョン(プロデュース・デザイン)/K-PHOTO SERVICE 齋藤久夫+吉野明日香(写真)/creative office tie 阿部萌夢+長田水紀(写真・ウェブサイト)/おぐらきょうこ(イラスト)/田尻英二・金子摩耶(コピー)
〈運営〉urayokonet事務局(株式会社セルディビジョン)
横浜市西区高島2-11-2 スカイメナー横浜2F CDC内 tel: 045-548-6861 E-mail: info@urayoko.net
裏横浜地域活性化プロジェクト urayoko net 委員会